2006年04月02日

ボランティア

今朝の話。いつもどおり浅野川大橋を渡ろうとしたら、袋を持った人がたくさん列をなしていた

よく見ると・・・それは川のゴミ拾い用の袋だった
各自が一枚づつ手に持ち、若い男の子からちょっと年配の女性まで
いろんな年齢層の人で浅野川はいっぱいだった
1週間後に控えた園遊会のために川をキレイにしているんだろうなあと思った
彼らが園遊会スタッフならばきっとボランティアなのだと思う
東山には“まいどさん”という町を案内するボランティアの方もたくさん歩いている

私は若い頃(今も若いが、さらに若い頃のこと・・・)
ボランティアという言葉も行為もあまり好きではなかった
どこか“それって偽善じゃないの?”といつも思っていたし、私とは関係ない世界だと思っていた
ところが私の価値観は変わり始めている
きっかけは・・・友人の自立支援活動、海外ボランティアだった
彼女は俗に言うところの誰もが認める“いい女”であった
フェロモンばっちり、独特の雰囲気でいつも華やかな場にいた女性
その彼女がある日一人のお坊さんと出会い、何もかも置いて一緒にボランティアの旅に出てしまった
私の知る範囲でだが、彼女達がやっているのは単に集めた募金を貧しい人に与えるものではない
どうやっても自分達の努力ではここまでしかできない、そういう人達へ必要な分の手助けをする
彼らが自立できるためのお手伝いを現地で直接すること
簡単にいうとそれが彼女達のやっている自立支援だった
そのダイレクトアクションに参加した男の子のこんなエピソードがある
アメリカの裕福な家庭に育った男の子
ご両親がこの少年をダイレクトアクションに参加させてみた
だが帰国した少年に特に変わった様子はみられず、ご両親は参加させたことも忘れて月日が過ぎた
ところが1年後・・・
彼はこのアクションにかかった旅費を全部アルバイトしたお金で両親に返したのだった
お坊さんは言った「彼らの生き方は彼ら自身が気付いて変えるんだ。親に言われて、叱られてじゃない
自らが自らを変えるんだよ」
彼の心の中には間違いなく何かが芽生えたのだろう
私もそのお坊さんに直接会ったことがあるがいきなり前ぶれもなくこう言われた
「ボランティアというのは自分の中の喜びのためにやるんだよ。相手に見返りも何もない。分かるか?」
そして“奉仕する君は美しい”とメッセージを書いてくれた
この時私にはさっぱり意味が分からなかった
なぜ私にこのメッセージを・・・?
建て前だけの付き合いも社交辞令もキレイ事も嫌いな私
どこかボランティアにもそういったキレイ事のようなイメージを持ち、私とは関係ないと思っていた
ところが私にも少年のように少しづつではあるが変化が起きている
ボランティアというにはほど遠いが、自分が誰かに感謝して行動することが楽しく嬉しい
もちろん見返りなんて求めてない
なぜならそれはその相手のためではなく、ただただ自分の喜びへの追求だから
自己満足・・・もしかしたら行き着く先はそうなのかもしれない
それでもボランティアの本当の意味が分かり始めた私はやっとスタートラインに立ったとこ
“私にできること”の旅に出始めたばかりである

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