2006年08月15日

墓参り

7月は金沢でお墓参り。8月は松任(白山市)のおばあちゃんのところへ必ず行く

子供の頃、母親の里が遠いところの友人が羨ましかった
電車に乗って、飛行機に乗って帰省
絵日記も「おばあちゃんのところへ家族で電車で行きました」という出だしでカッコいいなぁと思っていた
私の母の里は車で30分
田んぼの真ん中、小さな村で松任の中でも指折りの田舎である
近くに牛舎があり、風向きによって家の中まで牛さんの香りになることがある
夏休みは毎年ここへ1週間ほど泊まって、弟とぶらぶら外で遊んだりおじいちゃんと出かけたりしていた
おじいちゃんは大工さんで昔ながらの職人といった雰囲気である
私達が来ると「お前ら来たんか・・・」とニコリともせずに言って、また何事もなかったかのように本を読む
いつも静かに茶の間に座っていて、今でもその大きな後姿が印象に残っている
初めて弟とおばあちゃんと4人で能登の方へ遠出をした時
シートベルトのしめ方を知らなくて子供心にビックリし、教えてあげたことが今では懐かしい(笑)
無口な人だったから沢山会話をした記憶はないけれど、深い愛情でとても可愛がってもらっていたと思う

大人になって初めて知ったこと
「あんたが生まれた時、あんたのじいちゃんを病院まで乗せてってあげたんや
初めて孫が生まれて本当に嬉しそうやった」
おじいちゃんのとこにいた見習の若い衆が言っていた

小学生の頃はよく行っていたが、大きくなるにつれて盆暮れ+αの年に何回かしか会わなくなった
会うたびに「・・・お前顔変わったなぁ」と言い
「それって単に私の顔忘れただけじゃないの?」と言う私を見ていつも笑っていた
片山津の病院に入院し、月に1回の見舞いの時には本当に私の顔を忘れてしまっていたが(笑)

2年前から、松任のお墓参りはそのおじいちゃんが入っている場所になった
いつの日からかお墓で手を合わせる時、「いつもありがとうね」ただそれだけ言うようになった
(子供の頃は、願い事をするもんだと思い込んで色々言っていたが・・・)
お墓に手を合わせることの意味
自分が存在していることへの感謝なのかもしれない
生きている人に対して手を合わせる時
心から「ありがとう」をいう時の深い感謝
実際に相手に手を合わせなくても、気持ちでそう思っているということ
タイやインドではあいさつやお礼時に手を合わせる、日常によくある光景
生活の一部であり、私もその中にいて1日に何度も手を合わせるうちに感じた事である

今年もおじいちゃんのお墓を参りながらいろんなことを思い出し
会えない寂しさと感謝のまざった気持ちで、手を合わせて来たのだった

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